おみくじの歴史


 おみくじの語源は「おみ」は「御御」だとして「くじ」という言葉について考えねばならない。


@「串」説(くしという言葉からくじに転化した)
A「抉り」説(抉りは結び目を解く道具)
B「公事」説(公のことを決めるのに使うため)
C「奇し」説(奇なことを起こすから)
D「鬮子(児)」説(鬮は中国のゲームや神事に使われた小型の円盤状のくじ発音はクで、それに小さいの意味で子をつけたもの)

などがある。

様々な民族にも言えることだが、古い時代は占いなどで物事が決められることは多々あった。文献におみくじの古いものだと見られるのは『日本書紀』で有馬御皇子が謀反の首尾を占うため「短籍をとりて謀反けむ事を卜った」とある。

  その当時ちょうど中国でくじが流行っていたため日本に伝わったものと考えられる。 さらに占いとしてだけでなく、宴席や詩会でも用いられ引いたお題で詩を読むなどということが行われた。

くじという言葉は10世紀ごろから見られ「孔子」と書かれた。

おみくじは政治の世界でもたびたび使われており、

1242年、鶴岡八幡宮で天皇を決めるのにくじを引き後嵯峨天皇が即位する。 足利幕府の後継者を決めるため岩清水八幡宮でくじを引き足利義教が即位。

などの話がある。

また、明智光秀が信長を焼き討ちする前にくじを引いたという話もあり、その他にも戦国武将もくじによって戦い方を決めていたという記録が残っている。 ちなみにこの頃のくじは今のような神社で用意されたくじを使うのではなく、自分で用意するのが一般的であったと思われる。

また、歌占という占いがあり、巫女が詩を読むことによって占う方法が使われた。それと同時に歌の書かれたくじを引いて占う行為も行われた。

江戸時代にもなると、くじの道具をいつでも使えるように用意するようになった。神社仏閣でもくじを備え付けるようになった。 そこには数字の書いた棒を入れておいて人々は「○番なら上手く行く」などと決めてから行ったようだ。

さらに中国から南北朝から室町初頭ごろ「天竺霊籤」が入ってき、それが「元三大師百籤」もしくは「観音みくじ」として流行した。元三大師は天台宗座主十八代目の良源で慈恵大師とも呼ばれる人である。なぜ結びついたのかは不明だが、そのため比叡山元三大師堂はおみくじ発祥の地とも言われる。ただし、天台宗以外の寺でも「元三大師百籤」は一般的に使われている。 「みくじ本」と呼ばれるおみくじの解説書まで登場した。

現在でも寺で引けるみくじは「元三大師百籤」がルーツになっているため、大まかに分けて寺のおみくじは漢文が多く神社のおみくじは和歌で書かれた物が多い。 また様々な宗派でおみくじが作られ、面白いところだと近松門左衛門が作ったおみくじも登場した。(兵庫県:広済寺)

近年では女子道社という会社によって多くのおみくじが作られ販売されている。


参考文献
『一番大吉!おみくじのフォークロア』 中村公一著 大修館書店出版


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