私と妖怪

 現代、妖怪は漫画や小説、アニメ、ゲームなどのキャラクターとして使われています。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』などの影響も大きいでしょうが、怪しい姿かたちに惹かれるものは多く、数多くの妖怪好きが存在します。インターネット上を検索しても山ほどのサイトが見つかるでしょう。さらにそれらは様々な視点から妖怪を捉えていることと思います。妖怪をモチーフにして創作をする者、妖怪が出たという場所へ訪れる者。

 その中でも中心になっているのは民俗学的な視点からの研究ではないでしょうか。妖怪は人々の暮らしや、説話の中で登場しました。本来なら妖怪というものは、姿かたちをはっきりと捉えられるものではなく、昔話や伝説に登場したものであり、ストーリーと密接に繋がっていました。しかし、最近ではもっと多様な存在になっているように感じます。

 近頃は図鑑型の妖怪本に見られるような姿があり、このような性質があるという形が好まれているように思います。博物学的捉え方をしているとでも言うのでしょう。生活の中から誕生したというものだけでなく、創作的な妖怪も多く存在します。

 私が妖怪画に惹かれたのは水木しげるの妖怪画集からです。もともとは妖怪というよりもファンタジー好きで、幻想動物に憧れていたくちです。それが妖怪に絞ったのは水木先生の力もありますが、世界は広いのでまず身近な日本から知らなければならないという考えもありました。でも知れば知るほど奥が深いため、妖怪が中心になり、今ではすっかり妖怪好きになりました。

 私は人づてに昔話を聞くような体験もなく、図鑑でしか妖怪を知らないタイプの人間です。図鑑ものを読み漁るうちに、これだけでいいのだろうかと思い、民話や伝説の本を読むようにしました。生きた体験ではないそれは、本来の妖怪を知ろうとする姿から外れたものなのかもしれません。それでも挿絵に出てくる魑魅魍魎たちの姿は魅力的でした。

 姿かたちから入った私にとっては民俗学の妖怪よりもキャラクターとしての妖怪のほうが身近なのではないかと感じます。若い妖怪好きにこのような人はけっこういるのではないでしょうか。そんなこともあり、私は美術品の中から妖怪の姿を探していくことに興味を持ちました。

 私の作っている途中のこのサイトは戦前までの美術品の中から妖怪的なものを探していくことです。「的」としたのは厳密には妖怪だけではなく妖怪とは呼びにくいものも混ざっているからです。(神など)さらに江戸時代に来るとキャラクターなのか妖怪なのかというものも登場してきます。

 美術の面から見ていくと、あくまでも、描かれた物があって、そこから考えていくものなので、ここではキャラクター妖怪などの民俗学では対処しにくいものを中心に持ってくることができるのではないかと思います。

 私は様々な分野からの妖怪研究が発展することによって、面白い考え方がたくさん登場することを密かに願っています。


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