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妖怪画の歴史(概要)

   まずこれは本格的な妖怪美術史を書く前に一般的な妖怪美術の流れを簡単にまとめておいた物です。 美術について詳しくない人にも分かり易いように書くつもりです。そのためわざと省いたり簡略化しているところがあります。 それと、まだ自分でもよく分かっていないところもたくさんあるのであまり参考にしない方がいいです。


 日本で最初の妖怪画は『玉虫厨子』(650頃)に描かれた鬼の図だといわれています。(この作品自体が日本最古の絵画) それから、ずいぶん飛んで、次に登場するのは『地獄草子』(12cごろ)です。この間時代に大変開きがありますが、古い絵画は本当に残っていないのでしかたありません。  平安時代の絵巻はほとんどありませんが、鎌倉時代から多少は絵巻が残っています。  絵巻物には

神社仏閣がなぜできたかを説明する「縁起物」
戦いの場面を描いた「合戦物」
不思議な物語を描いた「御伽草子」(その他いろいろ)

など様々なものが登場します。 その中でも「縁起物」、「御伽草子」と呼ばれるものには特に妖怪が登場します。 「縁起物」は宗教に関わりが深いため、仏教の敵とされる「鬼」・「天狗」などがよく描かれました。また物語の中に地獄の場面があるものがあります。『北野天神縁起絵巻』などには地獄の場面、雷神になった菅原道真が登場します。

 「御伽草子」は民話のようなものが多いため、鬼・天狗だけでなく様々なタイプの妖怪が登場します。 『土蜘蛛草子』などのように英雄が妖怪を退治する物語が数多く描かれています。『化物草子』のような怪異を記すための絵巻も登場しました。

 特に室町時代からは「付喪神」という道具の妖怪が活躍しだし、『百鬼夜行絵巻』、『付喪神絵巻』などに描かれています。 『百鬼夜行絵巻』は絵師の絵手本として、長い間描かれ続けていきます。

 しかし、室町ごろからお金がかかる為、貴族などにしか作ることのできなかった絵巻が、貴族の没落に伴い、逆に町人が力をつけてきたため、民間に流れ出た絵師が町人のために絵を描くようになります。それは『奈良絵』と呼ばれ、美術では低く評価されています。しかし御伽草子と呼ばれる短編の物語を多く手がけており、妖怪の登場する物が多数あります。これらは絵巻の形態でも作られましたが、やがて冊子状のものが主流になっていきます。これらは『絵本』と呼ばれました。

 日本にも奈良時代から印刷物がありますが仏教書が主でした。安土桃山時代、戦いも終わり、大陸からの新しい技術の輸入で江戸の出版文化が飛躍的な成長をします。そのため、いままで手書きでしか作れなかった絵本が印刷で作れるようになりました。

 当初印刷文化の中枢は京都でしたがそこでは主にお堅い経典などの本が作られました。それに対して東京では絵入りの御伽噺のような本を好んでいましたが本格的ではありませんでした。  そんな中、大阪で好色本(エッチな本)が人気になり、一般向けの本が盛んに作られるようになります。

 また、いままで簡単な物語ばかりだった絵本(草双紙)に『金々先生栄華夢』が登場し、大人にも楽しめる絵入りの本が登場しました。これより後の絵本を『黄表紙』と呼びます。黄表紙には妖怪が描かれた物がたくさんあり、妖怪はキャラクターとして楽しまれるものとなって行くのでした。そんな中で妖怪にも役割ができ、見越し入道は妖怪の親分、ろくろ首のお六さんはヒロインなどの造詣がついていきます。

   物語とは別に、文化人に絵暦の交換が流行しました。もっと綺麗なものを作るため、錦絵(浮世絵)と呼ばれる何色もの色のついた絵を作れるように技術が発達します。黄表紙や錦絵は同じ店で売られ、人気の絵師は黄表紙の絵を手がけたりもしました。

 この時代狩野派(宮廷画家の一派)の絵師の中にも町絵師になる人がいました。狩野派の鳥山石燕は昔の絵や、パロディなどから『図画百鬼夜行』シリーズを刊行し、後の妖怪像に大きな影響を与えました。石燕の弟子には喜多川歌麿などの後の歌川派に繋がる人や、恋川春町(『金々先生栄華夢』の作者)のように草双紙の世界に強い影響を与えた人がいます。

   浮世絵のジャンルの中に『武者絵』と呼ばれるものが登場します。そのため源頼光の妖怪退治に題材をとったものが多数登場し、その中で妖怪が描かれました。その中でも歌川国芳は「武者国芳」といわれるほどの絵師で、数多くの妖怪を手がけました。

 大政奉還をした明治以降、混沌とした世の中で怪奇趣味な絵が多数かかれます。歌川国芳の弟子の月岡芳年は優れた武者絵や妖怪画を手がけました。彼は『新形三十六怪撰』などの怪異専門のシリーズを手がけています。しかし浮世絵は次第に写真にとって変わられるようになりました。芳年は多数の弟子を挿絵画家や日本画家として輩出しています。

 洋画では妖怪画は見られませんが、日本画には伝統的な幽霊などが描き続けられます。小川芋銭は多数の河童の絵を手がけており、吉川観方は自らも『絵画に見えたる妖怪』という著書を手がけるほどの妖怪好きで、多数の幽霊画を集め、手がけました。  昭和には子ども向けの図鑑ブームが起こり石原豪人『日本妖怪大図鑑』など、数多くの妖怪図鑑が出版されました。  漫画の分野で水木しげるが登場し、鳥山石燕の妖怪や柳田國男の採取した話に登場する妖怪を登場させた『ゲゲゲの鬼太郎』(墓場の鬼太郎)が人気を博し、妖怪ブームを巻き起こしました。映画でも『妖怪大戦争』など多数の妖怪映画が作られたました。


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