漫画の歴史を語るとき、日本の古い漫画の原点に『鳥獣戯画図』、『北斎漫画』をよく例にあげられる。しかしそれは風刺画を中心にして語られる西洋漫画の流れを模倣しているだけであって、日本の正しい漫画の歴史とは少し違うのではないかと思うのだ。
そもそも日本で主流の漫画は、風刺、戯画などの一枚絵よりも、『少年ジャンプ』などの雑誌などで連載されているストーリー漫画が主流である。それの原型を私は日本の古い美術品の中から探れるのではないかと思うのだ。
まず、従来は『鳥獣戯画図』が昔の漫画の例として出される。この作品はおもしろおかしい絵という点と、僧の社会を皮肉っている風刺の面があるから漫画とされるのだと思われる。
確かにこの絵は現代の我々が見ても十分に魅力的であり、面白く愛らしい。だが、これよりも現代の漫画のルーツとしてもっと近いものがある。
その例として『福富草子』がよいのではないか。
この絵巻物の話は、ある男が屁こき芸で殿様から褒美をもらい、それを見た隣の家の男が真似をして一攫千金を狙うが、身を出してしまい散々な目にあうというものだ。なぜか『百鬼夜行絵巻』とよく同じ画集に納められている事が多いので興味のある方には読んでいただきたい。
この絵巻が漫画の原点としてふさわしい点は、内容の滑稽さもある。それよりも参考の写真を見ていただけば分かるが、人物の横に話した言葉がかかれているのだ。
これは、吹き出しをつければ漫画と同様のものになる。この絵巻の構成は、内容を指し示す文と同じに人物の話し言葉が表記されている。この点が漫画に非常に近いのではないかと思う。この直接画面に会話内容を書きこむという手法は長く続き、江戸時代の黄表紙でも使われている。当サイトにおいてある『金々先生栄達之夢』にも同様の手法が使われており、この『福富草子』、黄表紙などの滑稽な読み物こそが現代のストーリー漫画へと続く本来の流れではないかと思うのだ。
ついでに北斎漫画の『漫画』はどうもいろんな物を描いたという意味での「万画」だから現代の『漫画』とは関係ないと思う。
ついでに江戸時代の草双紙について語っておく。
草双紙は、赤本、黒本、黄表紙などの流れによって発達してきた読み物である。『金々先生栄達之夢』を見ていただければどのような感じのものかは分かっていただけるだろう。
まずこれらの草紙のうち赤本、黒本と呼ばれるものは、非常に子供向けのものが中心である。猿蟹合戦などの典型的な昔話が中心である。
その後、黄表紙の登場により、大人にも楽しめる話が描かれるようになっていく。
さらに、初期は一人の手によってストーリーと絵がかかれていたものが、絵には人気絵師を使い、ストーリーは別といった分担分けができていく。そして次第に長編物も登場する。
なんとなく漫画の進化と似ている気がするのは私の気のせいだろうか。